10周年パーティーで、泣かないって決めてたのに、泣きました。
1部と2部、両方で泣きました。
人前で泣いたのは、起業して10年で初めてのことでした。
泣きながらスピーチして
言ってることが自分でもわからないくらいだったので、
改めてここで伝えさせてください。
正直に言うと・・・
僕は、ずっと自分は「逃げた」と思ってました。
会社員でいることから逃げたって思っていました。
インターンとして入ったホテルで、
嫌がらせにあって就職の話を断って逃げた。
その後に勤めた会社も、うまく馴染めずに逃げた。
なんだかんだ理由をつけて、強がってはいたけど
結局のところ・・・「根気がなくて逃げた。」と。
その「逃げた」って事実を
長い間、心の真ん中に置きっぱなしにしていました。
そして、その上から「強がり」を覆いかぶせて
人からも自分からも見えないようにしていました。
起業したことを褒められたら、
うまくいってないのに調子に乗って色々語ったりして…。
うまくいってないのを見破られたら、
ムキになって反抗したりして…。
そうして、起業当初は、よく怒っていました。
空しくなっていました。悲しくなっていました。
多分無理していたんだと思います。
いくら強がりで覆いかぶせたって、
本当は強くなんてなかったから。
傷口が気になって絆創膏を剥がしてのぞき込むように、
僕は「逃げた」って事実を本当は見ていたから。
そして、また目を背けて
自分を守ることに精いっぱいで、
自分を肯定することに精いっぱいで…。
そして、それが本物の肯定に変わるために
お金お金お金…。
有名有名有名…。
成功成功成功…。
それで頭がいっぱいだった気がします。
でも、そんな僕についてきてくれた
というか、一緒にいてくれた仲間がいました。
一緒にマインドプラスを立ち上げた
妻でもある悦子と、18からの友達の瀬古。
起業する前、瀬古はプログラマーとして
初任給から年収600万円以上もらっていて、
既にリーダー職についていました。
悦子は、UCLAを首席で卒業して
社長候補としてPRの会社に勤めていました。
そんな二人が、会社を辞め
当たり前のように僕を代表にしてくれて
マインドプラスがはじまりました。
だけど、僕が不甲斐なかったせいで、
最初の頃は、やばい状態でした。
喧嘩もしょっちゅうだったし、
瀬古にも悦子にもよく怒鳴ってた。
悦子もよく泣いてたというか泣かせてました。
そして、言い返されていました。
一切口をきかない日も何日もありました。
会社を解散するって話も一度だけですが、
出たことがありました。
だけど、なんだかんだ言って
結局は解散することなんてありませんでした。
多分、すごく細い糸だったと思うんです。
誰かが抜けたり、誰かが諦めたら
それでプチっと切れてしまうくらいの細い糸。
でも、それがずっと切れなかった。
それは、沢山の糸と絡み合ったおかげだと思っています。
給料が5万円だった時代、
瀬古は会社員の時から付き合っていた彼女から
お金を理由にフラれました。
でも、それをうまくいくまで
僕らに内緒にしておいてくれました。
悦子は、僕が「これだけしなくてごめん」と謝りながら給料を渡すと
「私、お金あるから大丈夫」といつも言ってくれました。
そうして、なんとか糸は繋がったままでした。
その後、少しずつ少しずつ
大切な人が増えていきました。
はじめて肩の力を抜いて話せる人がいました。
情けない僕を見せても離れないでいてくれる人がいました。
辛い過去があるのに笑顔で接してくれる人がいました。
裏切られた過去があるのに、僕を信じてくれる人がいました。
沢山落ち込んで、だけど結局笑ってくれる人がいました。
そういう人達がお客さんになってくれて
一緒に過ごしていきました。
そうして、僕はいつしか
「自分を肯定するために生きること」
を辞めることができました。
だって、みんな同じだったから。
傷ついたことがない人なんていなかったから。
ずっと心穏やかに生きている人なんていなかったから。
みんな、何かを乗り越えて…
いや、何かを乗り越えようとしていたから。
そして、それがたまらなくかっこよかった。
完璧に振舞っている人よりも、
いや、実際に完全な人がいたとしても、
それよりも不完全な人の方がかっこよかった。
ちゃんと自分を見て、足りないところを見て、
前に進む姿が美しかった。
そうして、強がってばかりだった僕は・・・
「本当の喜び」「本当の悲しみ」
「本当の優しさ」「本当の強さ」
を大切な人を知ることから学びました。
そのおかげで、心を覆っていた「強がり」をベリベリと剥がして
「本当は逃げた」って事実と再会した時に・・・
その事実がどうでも良くなっていました。
いや、むしろ、
「逃げた」って事実を抱きしめたくなりました。
もしかしたら、逃げたんじゃなくて、
「自分を抑えて生きること」に我慢できなかったのかもしれません。
もしかしたら、逃げたんじゃなくて、
「挑戦」したかったのかもしれません。
でも、どんなこじつけも理由も
もういらないんです。
逃げてても、逃げてなくても
もうどっちでもいいんです。
弱かった自分も
いや、今も自分が弱かったとしても・・・。
今も強がりが顔を出したとしても・・・。
もし、また逃げ出したくなっても・・・。
もう、なんかそんなのどうでもいいんです。
それは、「今」が、たまらなく幸せだからだと思います。
今だって、まだまだ道の途中で
足りないものは沢山あります。
でも、それが幸せで仕方ありません。
まだまだ道の途中なのが嬉しい。
足りないものが沢山あることが嬉しい。
もしそれが叶わなくても…
やりたいことが、夢があるってことは
幸せなことだから。
今僕は、こう思っています。
人生の終わりに
「後悔ない人生だった」なんて言いたくない。
「まだ、やりたいことがある」と言いたい。
そんな人生を歩んでいきたいと。
そして、そうさせてくれた方達に
心からありがとうを伝えたい。
もっともっと役に立てれば…と後悔させてくれた人達に。
もっともっと役に立ちたいと思わせてくれた人達に。
もっともっと僕らに期待してくれている人達に。
だから、僕は、もっともっと役に立てる人間になります。
どれだけ「無力さ」を目の前に並べられても・・・
どれだけ「足りない」を突き付けられても・・・
それで悲しくて苦しんだとしても・・・
結局笑って進める気がします。
パーティーに来ていた人たちが
パーティーに来れなかった人たちが
今まで出逢った大切な人達が
僕の中にいつもいるから。
…ということを伝えたかったんだと思いますが、
泣いてぐちゃぐちゃになりました。
何を話したかも、うろ覚えです。
でも、ひとつだけ鮮明に覚えていることがあります。
僕は起業したばかりの頃
「一生、頭を下げずに生きていきたい」と
よく言っていました。
頭を下げている大人を見て、かっこ悪いと思っていたからだと思います。
わずかな会社員時代に、何度も頭を下げたせいだと思います。
頭を下げなくてもいい人間になりたいと思っていたからだと思います。
でも、スピーチの後…
頭を下げ続けている自分がいました。
いつまでも下げ続けていたい自分がいました。
そして、
子供にも、その姿を見てもらって良かったと思いました。
頭を下げ続けたいと思わせてくれる人たちと
一緒にいられる幸せな僕の姿を。
沢山の思い出の中で
それが、一番心に残っていることです。