プロフィール
愛知県 岡崎市出身。実家は両親共に自営業です。
薬局やエステサロンを経営しながら、
母親や身内の働く姿を見て、将来は薬剤師か医師しかないと思っていました。
そのため、学生時代は漠然とその方向にいくだろうと勉強に励んでいました。
ある時、学校の企画で「将来社長に向いている人ランキング」が発表されました。
そこで想像もしなかったのですが、男女併せ1位になりました。
(きっと偉そうだったのでしょう笑)
しかし、それがきっかけで
「薬剤師か医師になるのが当たり前」だと思っていましたが
「もっと何か自分には可能性があるのかもしれないなー。」
と自分の将来の可能性について深く考えるようになったのです。
(当時のあだ名は”アネゴ”だったww)
一方で、周りからの期待とは真逆で、どこか自信が持てない自分がいることにもこの時気づきました。
祖父母、父、母、姉のように医学の道に進むことが当たり前のように育った環境。
他の職業のことを深く知る機会もありませんでした。
自身の中の選択肢が限りなく少なかったのです。
インターネットも使っていない時代。
将来について考えるようになったものの、何をどうしていいかもわからないもどかしい
日々が続いていきました。
しかし、そんな時です。
親しい先輩の一人がイギリスに進学することを耳にしました。
その時聞かせていただいた先輩の話が非常に興味深くその後の進路に大きく影響を受けました。
日本は基本的に大学に入学する以前に専門分野を決めなければならず、
入学後の専攻分野の変更は困難です。
しかし海外の大学は、入学し色々な分野の授業を取りながら徐々に自分の専門を決定
していくことができるのです。
将来について悩んでいた自分。海外の制度を知ったこと。
自分は「狭い世界だけで選ばされる」のではなく、
「知ってから選ぶこと」を選択したいと強く思うようになったのです。
そう思い、アメリカ留学を決意しました。
東京にあるインターナショナルスクールに1年弱通った後、渡米。
カリフォルニア州にあるVCC(ベンチュラコミュニティーカレッジ)に入学。
卒業後、編入試験を受け、
第一志望のUCLA(カリフォルニア大学ロスアンジェルス校)に無事合格。
毎日近所のスタバに毛布持参で通い(笑)、
3時間程度の睡眠で数年間とことん勉強に励みました。
目標があっての大学。ですから勉強が楽しくて仕方ない日々でした。
そんなある日、私のアパートでアメリカ人の友人らとゴロゴロ
ソファでテレビを観ていました。
すると、アメリカの情報番組で「日本の就職活動」が特集されていたのでした。
「100社以上の会社に就職活動している日本の学生」を見ながら、
アメリカ人の友人が言った「日本人はやりたいことがないよね。」の言葉が強く胸に残りました。
ただ、就職することを目的にしているように見えた就活生の目から、
働くことに対する希望が感じられなかったのです。
卒業後、時間もあったのでインドを中心とする3か月の一人旅に出かけました。
旅中、
「ヴァイオリン弾きの子供はヴァイオリン弾き」
「花売りの子供は花売り」
という将来の選択肢が一つしかないカースト制のことを深く知りました。
友達になったインド人にそのことについて尋ねると、
「そういうものだから、疑問に思ったことがない。」という言葉が返ってきたのです。
それは衝撃でした。
日本にはカースト制はなく、選択の自由があります。
日本人であることを感謝すると共に、この環境を活かさないといけないと感じました。
と同時に、実際に自分の周りには、親と同じ仕事に就く人達が沢山いることに気付きました。
アメリカ留学を決めたあの頃と同様、改めて
自分は「狭い世界だけで選ばされる」のではなく、
「知ってから選ぶこと」を選択したいという気持ちが再度高まったのでした。
しかし、本を読んだり、実際に働いている先輩から話を聞いた結果、
在学中には「これだ」と思うような仕事はみつかりませんでした。
アメリカでも働いたのですが、どこか頭の片隅にずっと、
「日本の就活生の映像」そして、「日本人の働き方」へのモヤモヤする気持ちが残っていました。
その後、日本への帰国を決めました。
ビジネスの基本は、「売ることと買うこと」。
まずは、シンプルに「売ること」を経験したいと思い、大手メーカーへ就職しました。
留学経験を買われ、外国人のお客様を担当することになりました。
当時、勤めていた会社はCMも頻繁に流れていて、知らない人はいないと思っていました。
しかし、担当した外国人の方達は日本のテレビを見ずに、たまたまお店に入ってくるお客さんでした。
マスメディアを使わずに、更に来店してもらうには、口コミしかないと感じるようになりました。
口コミを起こすための対策を考え、外国人のお客様は劇的に増加!
結果大幅に売り上げをあげることに成功しました。
ビジネスと言えども「人の気持ち」が大事だと言うことに気付き、
仕事以外の時間も使って勉強、実践し、更に結果を出していきました。
その際にたまたま読み、売上げUPにも繋がった面白い本がありました。
その著者のプロフィールを見ると、当時の私と同様、新卒では大手メーカーに入社していました。
そしてそのあとに「PR会社」に入社と書かれていました。その後、著者は起業していました。
そこで「PR」というものに興味を持ちました。
その2週間後には辞表を出し、次の2週間転職活動をしPR会社に転職しました。
PRとは、パブリックリレーションズの略。
プロモーションの略だと思われている方が多いのですが、実は違います^^
「広告費用をかけずに、マスコミに取材してもらう」仕組みです。
そこで、マスメディアの仕組みと影響を学びました。
同会社で、7万人のユーザーがいるコミュニティーサイトの運営も1人で任されました。
ネットマーケティングの仕組みも学びました。
ある時、PR担当になった会社がありました。
従業員も数人と、とても小さな規模の会社。
そこの商品について話を聞きにいく機会がありました。
経営者の商品に対する熱い思いを強く受け取りました。
「商品」というよりも、「この人」がつくっている商品を伝えたいと強く思いました。
そして、「商品」や「サービス」だけではなく、
提供している「人」の想いや人間性までを伝える仕事をしたいと感じはじめました。
ちょうどそのころ、春明と瀬古から起業に誘われていました。
「【人】の存在がより大きな影響力を持つ個人事業主や小さい会社を伝える仕事をしたい。」
と思い、共に起業を決意することになりました。
起業当初は、人の会社どころか、自分の会社のサービスすら伝えられない日々が続きました。
だけど、徐々に地道な活動が実を結んでいきました。
また、この先30年40年経ってもお互いを高めあえるような
女性経営者仲間を増やすことを目的のために立ち上げた「起業家女子会」。
最初は集まらない日々を体験しましたが、徐々に人が増え始め、
今では毎月3回開催し、必ず毎回満員になるほどの人気コミュニティーに発展。
現在のメンバー数は800名を越えます。
沢山の経営者仲間に囲まれ、必要とされている日々を楽しみながら働いています。
「伝える」という活動を通して、「伝えることの価値」というのは身を持って体験しました。
伝えることで、沢山の「活き活きしている方達」と出逢うことができました。
「どんな人が、どんな経験を持って、どんな働き方をしているのか?
そして、どんな人を幸せにしているのか?」
それは、学生時代の私が一番知りたかったことでもあります。
あの時の私に、あの時の私のように「知りたい」と思っている人達に
「活き活きと楽しく働いている人達」をこれからも伝えること。
そうすることで「働くことへの希望」を持ってくれる若者たちが増えていくと信じています。
そのための活動をこれからもし続けていくこと。
それが私の使命だと強く思っています。